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『息軒だより』第39号の内容に関するお詫びと訂正

                                                                                                           令和5年11月

        『息軒だより』第39号の内容に関するお詫びと訂正
                          宮崎市安井息軒記念館 館長 川口眞弘

 令和5年8月に発行しました『息軒だより』第39号(8・9月号)の記載内容に関して、重大な事実誤認が2点あると、大分大学名誉教授日高貢一郎先生よりご指摘を受けました。

 ここに謹んでお詫びし、訂正させていただきます。

 まず一点目は、森鷗外が小説『安井夫人』執筆に至った経緯についてです。

 大正2年(1913)12月26日、宮崎県のジャーナリストで郷土史家でもあった若山甲蔵が、宮崎の出版社「藏六書房」から『安井息軒先生』を刊行いたしました。そして翌年4月、森鷗外は息軒の妻、川添佐代を主人公とした『安井夫人』を、雑誌『太陽』に発表しました。

 この間の状況について、『息軒だより』39号1面には、

 文豪森鷗外はこの本(安井息軒先生)の出版を心待ちにしていて、出版されるや否やすぐに購入し、翌年には雑誌「太陽」の誌上で女性を主人公にした初めての小説として『安井夫人』を発表しました。

と書いております。

 確かに鷗外が息軒に強い関心を抱いていたことは、例えば須田喜代次の解題(『鷗外歴史文学全集3』収録)にも指摘がある通りなのですが、鷗外が宮崎の出版社から『安井息軒先生』が刊行されることを事前に知っていて、それを心待ちにしていたということを示す史料は、何も見つかっておりません。

 結果として、鷗外は東京に居ながら遠い宮崎の地で刊行された『安井息軒先生』を出版されてすぐに入手し、『安井息軒先生』刊行からわずか4か月後には原稿を完成させて誌上に発表しているのですが、いずれにしましても森鷗外が『安井息軒先生』刊行を「心待ちにしていた」ということを裏付ける史料は確認されておらず、完全な勇み足でした。

 ここにお詫びして訂正させていただきます。

 

 二点目は、同じく『息軒だより』39号1面で

 今回ご講演をいただく日高貢一郎先生の研究では、『安井夫人』は戦前の教科書に43回も採用されたとのことです。

と書いております。

 こちらは日高貢一郎先生の「森鷗外『安井夫人』関係文献と情報一覧」(『大分大学教育福祉科学部研究紀要』第35巻第1号、2013年4月)を参照したものでしたが、同論文の27ページ2行目で日高貢一郎先生は、次のように書いておられます。

 国語教科書に載った教材を通覧し、その特徴や傾向を分析した「定番教材の誕生」(野中 潤、筑摩書房Webサイト)によると、戦前、鷗外の作品で最も多く採録されたのは『山椒太夫』でのべ95回、『高瀬舟』が85回、『乃木将軍』(詩)59回、『曽我兄弟』(戯曲)56回、それに次いで『安井夫人』43回…

 文中にこの調査は野中 潤氏の研究にもとづくことが明記されていることを、完全に見落としておりました。日高先生は野中氏の研究を引用して紹介されているだけなのに、ご自分の研究であるかのような書き方になっていますが、それは事実と違っています。

 読者の皆様に誤解を与える結果となり、日高先生に多大なるご迷惑をおかけいたしました。誠に申し訳ありませんでした。

 

 この二点に関しまして、文教施設・研究施設として、基本的なチェック体制が欠如していたと猛省しております。二度とこのような事態が生じないよう、職員一同で相互に精査・確認をする体制を早急に整え、皆様に正確な情報をお伝えしていけますよう、心して取り組んでまいる所存です。何卒ご容赦のほどお願い申し上げます。