常設展示室・展示品(その2)
谷干城之書『安井息軒「三計塾記」』

訓読

〈三計塾記〉

  1. 「三計」とは何ぞや。一日の計は朝に在り、一年の計は春に在り、一生の計は少壮の時に在ればなり。何を以て吾が塾に名づけしか。諸生の晏起あんき春嬉しゅんきとを慮ればおもんばかればなり。凡そ吾が塾に遊ぶ者は、皆な此の道に志 有る者なり。何爲なんすれぞ其の晏起あんき春嬉しゅんきとを過慮かりょするや。人わかければ則ち年にたのみ、氣 盛んなれば則ち物に動けばなり。年にたのみて物に動くは、惰嬉だきりて生ずる所なり。惰嬉だきすでに生ずれば、則ち一生の計もすさむ。
  2. 物の天地の間に生ずるや、だ人のみを貴しとして、我 て人たり。人は男を以て貴しとして、我 男たり。男は士を以て貴しとして、我 士たり。天の我にくみするや厚し。しかも君父 我に資して、我をして至大至高の道を學ばしむれば、則ち又た士中の最も厚き者なり。
  3. 而るに終ひに自ら異を世にしるあたはず、蠢蠢乎しゅんしゅんことして走尸行肉そうしこうろうの中に遊嬉し、以て計を得たりと爲すは、しらみふんどしむと何をかえらばん。故に吾が塾に入る者は、三者の計を思はざるべからざるなり。
  4. 之を思ふに術有り。一生の計は一年に在り、一年の計は一日に在れば、日た一日と、心と習と化す。夫の惰嬉だきせる者を見るも、邈焉ばくえんとして心に接せず。然る後、天と君父の恩と、皆な得て報ずべし。而して我の貴しと爲す所以の者伸びん。三計の本なり。

庚子 晩秋                    隈山 谷干城 謹書

口語訳

安井息軒著『三計塾記』

  1. 「三計」とは何か。「一日の計は朝にあり、一年の計は春にあり、一生の計は若い時にある」ということだ。どうして〔「三計」という言葉を〕我が塾に名付けたのか。塾生たちが朝寝坊をしたり、遊び浮かれることを憂慮したからである。およそ我が塾に遊学するような者は、みんな斯道(=儒教、聖人の教え)に志を抱く者たちだ。どうして彼らが朝寝坊や遊び浮かれるなどという余計な心配をするのか。ヒトは若ければその年齢〔の若さ〕に任せるものであり、〔若さゆえ〕気力が溢れていれば〔酒や女色など外在の〕事物に衝き動かされてしまうものだからだ。年齢〔の若さ〕に任せて〔酒や女色など外在の〕事物に衝き動かされるのは、ダラダラと遊び呆けだす(=惰嬉)原因だ。ダラダラと遊び呆けだせば、「一生の計」もメチャクチャになってしまう。
  2.  万物は天地の間に生ずるが、その中でただヒトだけが貴いとされ、我々はそのヒトに生まれることができた。ヒトの中では男の方が貴いとされるが、我々は男に生まれることができた。男の中では武士が貴いとされるが、我々は武士に生まれることができた。「天」が我々に肩入れするのは、かくも手厚い。しかも主君や両親は我々のためにお金をだして、我々に至大にして至高の教えを学ばせてくれるのだから、我々は武士のなかでも最も恵まれている者たちである。
  3.  にもかかわらず、最後まで自らの特異なところを世間に示すことができず、虫のように分別もなく動きまわっては、歩き回るだけの死体〔と同じぐらい何の役にも立たない人びと〕の間で遊び浮かれて、〔自分は当初の〕計画どおり上手くやれていると思うのは、〔確かに本人がそれで満足しているなら、他人がとやかく言うべきことではないのだろうが、〕褌に棲む虱〔が自分の境遇に満足しきっているの〕と何の違いがあるだろうか、いや、同じだ。だから我が塾に入る者は、三つの計〔、すなわち「一日の計は朝に在り、一年の計は春に在り、一生の計は少壮の時に在り」という教訓〕をいつも心に留めておかなければならない。
  4.  〔教訓を〕いつも心に留めておくには方法というものがある。〔今からそれを一生守り続けねばならないと思うと、誰しも気が遠くなってやる気が失せるものだが、そもそも〕一生の計は一年にあり、一年の計は一日にあるのだから、〔今日一日だけはしっかり守ろうと思って過ごし、そんな風にして〕一日また一日と〔毎日を繰り返し過ごしていけば、自然と〕考え方と習慣とを改善していける。〔そうなれば、〕あのやるべきことをやらずにダラダラ遊び暮らしている者たち(=惰嬉)を見ても、自分とは関わりのない遠く離れた別世界のことのように思えて、心を動かされることはなくなる。そうなった後で、〔自分に普通の人たちよりも遥かに恵まれた環境を与えてくれた〕天と主君と両親の恩に報いることができる。そうして我々〔、すなわちヒトとして、オトコとして、サムライとして生まれた者〕〔世間一般で〕貴いとされる理由〔、すなわち当然身につけているはずだとされる倫理性と学識〕も大きく伸びる。これぞ「三計の教え」の根本である。

庚子(明治33(1900)晩秋             隈山 谷干城 謹書