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息軒会読Ⅰ『弁妄』詳解・ 令和5年度記念館講座

息軒会読Ⅰ『弁妄』詳シクセツ

安井息軒の『弁妄』全7篇を実際に読んでみて、詳しい解説を加えていく講座です。あわせて平岩愃保(ひらいわよしやす)の「弁妄批評」も見ていきます。

■講師 宮崎市安井息軒記念館 学芸員 青山大介
■日時 13:30~15:30(全8回)

第1回 4月8日 「弁妄」(一)
第2回 4月22日 「弁妄」(二)
第3回 5月13日 「弁妄」(三)
第4回 5月20日 「弁妄」(四)
第5回 5月27日 「弁妄」(五)
第6回 6月10日 「鬼神論」(下)
第7回 6月17日 「与某生論共和政事書」
第8回 6月24日 「鬼神論」(上)

※1 「鬼神論」(上)は『弁妄』に収録されていないので後回しにします。
※2 状況によっては進度を遅らせ、〈弁妄〉5篇のみを全8回で解説して終わることになるかもしれません。

■場所 宮崎市安井息軒記念館・研修室
■定員 40名(要予約・先着順)
■申し込み・問い合わせ先
電話:0985(84)0234
FAX:0985(84)2634
Email:sokken.yasui@pic.bbic.jp


■補足説明 「会読」とは読書会のことです。江戸時代には何人かで集まって同じ書物を読み、内容について議論したり翻訳したりする集まりを「会読」と称していました。また「弁妄」とは、儒者が宗教や迷信を批判する文章のタイトルとしてよく使う言葉で、「邪教の妄言を論破する」という意味です。

明治政府がキリスト教を解禁した明治6年(1873)2月から4月にかけて、安井息軒は『教義新聞』に「弁妄」(一)~(五)を発表し、キリスト教を厳しく批判しました。儒者によるキリスト教批判はそれ以前にもありましたが、多くは印象批判の域を出ませんでした。しかし息軒は『聖書』(おそらく漢訳本)をきちんと読み込んでその記述を逐一引用したうえで、その論理的矛盾や倫理上の違反を指摘している点に特徴があります。その水準は高く、評論家でキリスト教徒でもあった山路愛山(1866-1917)が「18世紀にフランスの哲学者たちが行った純理的・懐疑的『聖書』批評と同じもの」といい、当時の東京大学哲学科教授であった井上哲次郎より正確だと評価したほどです。

「弁妄」五篇は島津久光の序文を得て、功利主義的宗教論を説く「鬼神論」とアメリカとフランスの共和政を批判的に分析した「与某生論共和政事書」と合刊してその年の夏に出版されました。息軒はこれらを漢文――東アジア共通の学術言語――で書いていたのですが、久光からの「ぜひ庶民にも読ませたい」という要請に応じて、弟子の安藤定に和訳させて年末に『弁妄和解』として刊行しました。この和訳本は広く読まれ、芥川龍之介もエッセイで「安井息軒の「辨妄和解」は面白い本だと思ふ。これを見てゐると、日本人は非常にリアリスチツクな種族だと云ふ事を感じる」と書いています。

「弁妄批評」とは、明治13年に当時23才だった日本人牧師の平岩愃保が『明六雑誌』に発表した一連の論文で、キリスト教徒の立場から息軒『弁妄』に反駁を加えたものです。平岩愃保は中村正直の門人で、中村正直の自宅の一室で洗礼を受けてメソジスト派キリスト教徒となりました。中村正直といえば息軒の『遊従及門録』の「遊従」(息軒の方では対等の学者と見なして接していたが、相手の方で息軒に対して弟子という態度で接していた人物)にその名が見え、息軒に頼まれて『管子纂詁』を清朝の儒者に手渡すという役目を果たしました。彼は昌平坂学問所の儒官でありながらキリスト教に改宗した人物として知られ、息軒が『弁妄』を書いたのは中村正直の改宗が原因だったとも言われています。

本講座は「宗教」という複雑な問題に対する公平性を期する意味で、平岩愃保による『弁妄』批判にも目を通します。ちなみに上述の山路愛山は学生の時分に『弁妄』を読んでキリスト教に対して否定的な考えを持っていましたが、後に「弁妄批評」を読んで得心し、平岩愃保の手で洗礼を受けてキリスト教に改宗しました。(了)